現代における英語の必要性

自分は日本で働いている外国人ですが、大阪に在住している十年間の間、最初の六年間は学校で非常勤講師の英語の先生の仕事をして、その後は会社員に転職しました。自分の経験から日本に住んでいる人として、日本の英語教育方針と実態に関して感じたことと意見を少し述べてみたいと思います。

英語って皆に必要なのか?

義務教育としての英語は殆んど時間の無駄

殆んどの社会人にとって英語の実用性は極めて低い

はっきり言わせますが、日本人は一生海外に出ない限り、英語をわからなくても日常生活に支障は出ません。しかし、現在、特に都会に、他国籍の人が日本に住んでいて日本人と共に働いています。他国籍の人への理解を深める為に、英語か他の言語を学べる必要はあるでしょうが、日本人の皆がさせる必要は無いでしょう。また、ビジネスや政治では国際的のやりとりもあるから、強いて言えば一割の日本人ぐらいでも英語ができればそれで充分国や企業の役に立てられると思います。皆が学ぶ必要はありません。(日本語には最近たくさんの外来語も使われていますが、その際は基本、日本語でその外来語の意味の説明が付いて、または、日本なりに本来の意味が変わって和製英語みたいな感じに使われることもあるでしょう。)

使わない知識は忘れるもの

言語も他の学びこともそうですけど、使わないと忘れてしまいます。脳や身体を鍛える為に、大人になるまで色々やらせた方が人の成長に大きな、良い影響を与えるが、皆にとって義務教育の必須項目として勉強させられていることが結局何の役に立たないものになるとしたら、国と住民、国民の時間と資源の無駄に他はなりません。

小学生5年生から中学校卒業までの期間中に勉強させて、結果として簡単な英会話や作文さえもできなかったら、何の為に生徒の皆にやらせて続いているでしょうか?そもそも意味があるでしょうか?いいえ、ちゃんとした教育環境を整えたような見せかけで意味はありません。興味が無いと思ったら、何年間も同じことをやらせるより、他のことを学ばせる機会を与えてあげた方が子供のため、皆のためになると思います。

他の国では?

各国はそれぞれの教育制度を持っています。

現代的な観点で見ると、多くの国の子供が大人になるまで学ばないといけないことは(義務教育がある場合)自分の国の言葉(国語)と歴史、数学、科学は必ずあるでしょう。その他に美術、技術、音楽、体育等はそこまで重要されていないが、豊かなな教育環境ではよくある副科目でしょう。

国際的に活躍できるような人を育てるために、第二か第三言語を勉強させることも普通でしょうが、国によってその目標をどれぐらい重要だとされているかが変わると思います。

多くの国は英語を勉強させるが、自分の生れ育て、英語が共通言語のアメリカでは、他国の言語を学ぶことが必須ではない学校は少なくないです。どちらかというと、生徒の選択授業の一つとして受けるか、好きで学ぼうとしています。簡単に言えば趣味あるいは遊びの気持ちで学んで、大学に入学する為などの嫌でも点数を取れれば良い感は全くありません。

日本政府は2020年オリンピックが東京に決定されたことに合わせて、小学校で正式的に英語を授業として設ける教育方針を出したので、義務教育の必須科目としての英語の時間は以前より増えたでしょう。これは恐らく国際的に活躍できる人を作る目的をより強調し、決められたでしょう。

実用的なレベルの英語になるまで

実用的なレベルの英語は具体的に何ができるか、柔軟に見る必要があります。実用的な英語能力はネイティブの完璧さを指していません。下手な英語であっても、コミュニケーションがある程度でも取れたら、理想じゃなくても実用的になります。しかし、今の日本の義務教育における英語はそんなことを許しません。

「日本だから、英語は使わないし、海外に行く興味は無い」などの理由を付けて、いらない勉強だと思っている学生もたくさんいると思います。その意見自体は間違っていないが、海外の文化わ人に興味を持たせることができないと、今のようなただ文法や単語を覚えさせる英語の義務教育は誰のためにもなりません。

何百万人も住んでいる、通っている都会の中に、英語が必要だとされている人は本当に何人がいるでしょうか?

どの言語をネイティブと等しいぐらいの実力を身に付けようとしたら、たくさんの時間と努力を投資しないとできないが、興味が無ければ何年やらせ続けても簡単な会話や実用的な表現ができる実力は身には付きません。身に付けたように見えても、それは資格の為に勉強したりであろう、期末テストであろう、一時的に覚えてテストか資格取得後すぐ忘れてしまうので、全く意味無いです。

学校の先生って本当に英語できる?

あの先生の英語ちょっとおかしくない?

義務教育を受ける生徒たちに留まらず、教える側について思っていることをも述べてみたいと思います。

私は2012年に来日し、当時の派遣先の一つは小学校で、そこは既に「外国語活動」という形で英語の授業を設けられたけど、それは週に一回、四十五分の頻度で行われました。当時の実態について、まず、問題だと思ったことから述べてみます。

小学校の先生は皆、必要な英語の知識と実力がないと、間違ったことを教えてしまいます。発音に限らず、異国の風習や価値観等、言語と伴う文化に関する知識は欠けてなりません。しかし、今まで小学校の先生になるために教えないといけない科目の中に英語は入っていませんでした。

方言の英語さえもできない先生が英語を教える資格は普通に考えたら、ないでしょう。言語を学ぶのに、生徒の方は基本としてネイティブの発音を聞き取れないといけません。また、ネイティブでない海外から来た人と英語でのコミュニケーションの場合が無いとは限りません。

現役の教師たちは大学卒業してから、一応知識やスキルを増やせるために、勤め先の学校をコロコロとそんな実力が身に付けていない先生の英語の授業は極めて多くの人にとって時間の無駄だと思います。勿論、他国の文化への理解や関心が少しでも増えるとしたら、それはそれである程度の価値はあるでしょう。

日本で働いたる外国人の英語の先生たち

授業の内容、採点基準、方針は日本人が決まる

自分が過去にしていたけど、今でも他の外国人の方々が日本の各地方で英語指導助手として、日本人の教師と一緒に教室で英語を指導している現実は、日本人の先生は全般的に英語の授業にネイティブのサポートが必要だと国の、都道府県の、市の教育機関がそう考えているでしょう。

しかし、日本に滞在している外国人は教育免許持ちの日本人の教師たちと違って、色んな資格を取得し、キャリアとして教えている外国人の英語の先生は、大学で教えている人以外、あまりいません。また、日本の教育機関が教えようとしている英語は、外国人の英語の先生たちが実用的だと思っている英語とは殆んど場合は違います。

結果的に英語の授業は日本の義務教育の方針に合わせて教えられているので、外国人の英語の先生が一緒に居ても、皆は日本人の考え出した英語の授業のあり方に合わせることしかできません。

終わりに

小学校から始まる日本の義務教育は学生にとって、家庭では味わえない色んなものと触れあいの機会になり、現在と将来の人生を豊かにすることと繋がると思います。たくさんのことを知ってもらって学びそのものへの好奇心を育てることが大事ではないかと思います。しかし、英語に関しては小学校の高学年の科目に正式化し、中学校から引き継いた英語が今までのような実用性より、ただテストのための勉強になるとしたら、何の意味はありません。

日本が更に良い国になるために、民の皆がもっと公平な、豊かな暮らしを実現するために、「皆」に英語を更に勉強させる必要はありません。IT関係の新しい時代のスキルをより重んじると考えているところもあるでしょうが、子供に大人や親ができない何でもかんでもを押し付ける必要はありません。

「やらせ」は逆効果しか招かないので、英語は勉強したい学童や学生だけにさせて、英語が嫌い、必要性がないと考えている親と子供という家族には英語に使われる時間を他の科目に更に集中させ或いは自由研究の時間をあげた方が有意義ではないかと思います。

ここで述べてさせていただいた意見は勿論義務教育以降の高校や大学の入学試験等の影響で、ありえない話と思われるかもしれないですが、その辺りにも今までの英語の教え方から見ると、英語の点数で学生の合格と不合格を左右させる必要はないではないかと思います。今本当に英語ができる日本人は日本の人口の一割にも達していないと思うけど、その数値が語るのは英語は殆んどの日本人にとっていらないものではないかと解釈しても良いと思います。

逆に日本人の皆が英語ができるとしたら、それは何の為になるでしょうか?日本語ができないけど、英語なら通じる外国人をもっと日本で楽に観光できる、暮らせることを目的にでもされたでしょうか?他国への理解、国際レベルのビジネス界におけるコミュニケーション能力等偉大な夢があれば、そういう実力を身に付けるまで、必要な時間と努力はむしろ少人数の希望者のみの英語の授業を設けた方が効率的だと思います。他の人たちは自分たちにより合うことに出会うように教育方針を変えるべきだと思います。

長い意見になりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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